ココロの仏像

慈悲を見るか。美を視るか。心を観るか。

2006-01-01から1年間の記事一覧

明呪の王者たち 10 五大明王彫像をより知るために

日本に五大明王彫像の遺品はそう多くはない。古代の例に限っても、全国に十例ほどが知られるのみである。藤原時代の貴族による明王信仰の盛行にともなって平安京や各地の有力寺院に五大堂が建てられ、五大明王を安置して修法が繰り返されてきたのであるが、…

明呪の王者たち 9 五大明王の彫像遺品とその世界

日本における明王信仰の主体が、五大明王であったことは、平安時代に盛んに行われた御修法や仁王会の内容からも明らかである。 空海が密教を請来した時点では、曼荼羅などの図像において五躯一具の明王尊としての認識があったためか、明王はまず群像として日…

明呪の王者たち 8 五大明王の成立

「インド風」という評語がある。仏教美術における「日本風」を考える際に、「中国風」と対置されながら漠然と用いられる場合が多い。仏教を創始し展開させたインドの様式の痕跡、というほどの意味に使われ、インドの美術様式や思想そのものを意味しない。 し…

明呪の王者たち 7 玄朝の十九観不動明王画像とその彫像化

十九観不動明王の造形美術を述べる場合、その経軌通りの醜悪な外見をどのように表現するかに関心が持たれるが、十九観が説かれた当時においてはそれが非常に困難であった状況が一世紀近くも続いた。 安然や淳祐の主張による、醜い尊像の姿をに強調する理由づ…

明呪の王者たち 6 十九相観の不動明王像

前回まで、天台宗の初期の不動明王彫像について概観し、円珍感得の黄不動と相応感得の不動明王の系譜を大まかにたどってきたが、今回は天台宗の不動明王の主流となった十九観不動についてみてゆきたい。 日本密教における不動明王の成立期において、いわゆる…

明呪の王者たち 5 相応感得の不動明王とその周辺

天台宗の初期の不動明王像とその信仰をみてゆくなかで、図像的には黄不動と円珍様の二種類が知られるが、彫像遺品の実態に照らせば、黄不動の系統とみられる第二段階の不動明王立像の遺品が幾つか知られる。 その原形にさかのぼれば、相応和尚の感得せる不動…

明呪の王者たち 4 感得からの造形、黄不動明王

前回まで真言宗における初期不動明王彫像について述べてきたが、今回は天台宗の初期不動明王彫像に眼を転じ、黄不動と呼ばれる独自の一群を概観してみたい。 天台宗は当初は浄土教としての様相に端を発していたため、その密教化は最澄の時期ではなく、円仁お…

明呪の王者たち 3 高野山正智院不動明王彫像

日本における不動明王彫像の初期の遺品は、現存分に限れば承和六年の教王護国寺講堂像を最古とするのであるが、それに次ぐ古例とみなされるのが高野山正智院像であることは研究者諸氏のあいだでもほぼ認められている。 像の造立年代には諸説があるが、大部分…

明呪の王者たち 2 教王護国寺西院御影堂不動明王彫像

空海が請来した密教彫刻における不動明王の姿については、彫刻遺品では教王護国寺に現存する二躯すなわち講堂像と西院御影堂像によって具体的に知られるが、両者がともに大師様ではあるものの、厳密には同じかたちではない点が興味深く思われる。 それは、空…

明呪の王者たち 1 明王の源流と不動明王彫像

密教美術を彫刻の分野において総括的にみた場合、もっとも密教的な尊像群が明王群であることは、その始源および性格からみても明らかなことであるが、その明王群が密教思想の展開のなかでいかに具体化され、造形美術として確立してきたかのプロセスには、未…